2007年03月27日

昔話(生活編) 前編

今回は、私の幼い頃の昔話を書きたいとおもいます。

私の幼い頃は、昭和30年前半ごろから昭和40年ごろになります。
その頃の生活は、本当に大変でした。自宅は、現在の自宅から7分ほど中心街にいったあたりにありました。

当時の自宅は、江戸時代の終わり頃に建てた家で、家自体は、大きいのですが、不便なことといったら現在の一般的な家からは、程遠い生活をしていました。

まず、水道は自宅の中に埋設されていましたので、蛇口をひねれば水がでました。これ自体当たり前のことですが、これに加えて、自宅裏に井戸が有り掃除の時や洗濯ものの汚れがひどいものを井戸端で洗いものをしていました。

台所は、ガスなどありませんので、釜戸に火を焚いていました。ガス(東京ガス)が家に引かれたのは、昭和37年頃かもしれません。それも母屋だけで、私達が住んでいた所は、後にプロパンガスを使うことになりました。その頃ガスを引くには分担金を納める必要の為で、現在も有るのかも?

台所は現在のようなシステムキッチンで蛇口をひねれば、水でもお湯でも自在にでるなどとは、程遠いものです。洗い場は土間になっていて、レンガとコンクリートで出来ていました。流しは、木製で銅版で周りがはってあるものでした。
水は、木の桶に貯めてありひしゃくで水をすくって使うと言った具合でした。

ガスが来る前は釜戸で煮炊きをしていましたが、私自身釜戸の利用はよく覚えていません。

お風呂は、台所の隣で一番外にありました。水道がない時代は、井戸水を利用していた為井戸のそばに建てたということでした。水汲みが大変な為です。

当然のごとく火をたき薪で沸かしていました。大変でした。これは、中学卒業するまで経験でした。、風呂の焚きつけにする薪を割る薪割りをしまければなりません。これもかなり大変な仕事で、幼い頃は、両親がしていましたが、中学以後はよく薪の束を作る仕事を手伝わされました。

電気は、コンセントどありません。電灯は、白熱灯で40ワットか60ワットの電球一つ天井からぶら下がっている状態で、切るときは、ソケットつまみが有るので回すときれます。
夏になると扇風機を使うのでソケットにコンセントがある二股のソケットを使っていました。テレビも然り、ラジオも然りでした。ただ時々電気器具を付けすぎるとヒーズが熔けて停電になります。

洗濯は、洗濯機が有りましたが脱水機など有りません。絞り機と言うのか2本のロールの間に洗濯物を挟んで絞り機のハンドルを回して脱水するのですが。
今から思うとなんと原始的な方法でも当時は、最新のシステムでした。

でも母親は、たらいに水をいれて手でせんたくしていました。
洗濯機は祖母や叔母達の家族の洗濯のためで私達の洗濯物は相変わらず手で母親は、洗っていました。

そんな時代です。


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Posted by ねこ at 16:21│Comments(0)よもやま話
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